徳川家康の国語テスト「じっとまつ」ことで天下をとった人

徳川家康のイラスト
徳川家康(とくがわ いえやす) 1543年〜1616年
徳川家康テストをダウンロード(PDF・無料)

A4・横向き/1枚目が問題、2枚目が答えです

信長は「うつけ」から立ち上がり、秀吉は農民から成り上がりました。では家康はどうだったか——家康の武器は、じっと「まつ」ことでした。地味に聞こえるかもしれません。けれども最後に天下を取り、二百六十年の平和をつくったのは、この人です。

竹千代——人質として過ごした子ども時代

家康は、三河の国(今の愛知県の東のあたり)の小さな大名の家に生まれました。子どものころの名前は竹千代といいます。

三河は、西に織田、東に今川という強い大名にはさまれた土地でした。小さな家が生き残るには、どちらかに頭を下げるしかありません。そのため竹千代は、わずか六歳で人質に出されます。しかも途中で織田方にさらわれ、その後は今川のもとへ。十九歳になるまで、自分の家に帰ることができませんでした。

人質とは、「裏切ったらこの子の命はない」という約束のしるしです。竹千代は、いつ殺されてもおかしくない立場で、少年時代のすべてを他人の家で過ごしました。

ふつうなら心が折れてもおかしくありません。けれども家康はこの間、学問を学び、武芸をみがき、そして何より「今は動くときではない」と見きわめる力を身につけました。

耐えて、耐えて、待ち続ける

大人になってからも、家康は待ち続けます。

織田信長と手を結んでからは、その約束を最後まで守りぬきました。武田信玄に三方ヶ原で大敗し、命からがら逃げ帰ったこともあります。信長が本能寺で討たれ、豊臣秀吉が天下を取ったときも、家康は逆らわず、秀吉に従いました。

秀吉から「関東へ移れ」と命じられたときも、家康は文句を言いませんでした。先祖代々の土地を離れるのはつらいことです。けれども家康は江戸(今の東京)に移り、そこで町づくりを始めます。湿地を埋め立て、水路を引き、町を整えました。この地道な仕事が、のちに大きな力になります。

秀吉が亡くなったとき、家康は五十七歳。ようやく、自分の番が来ました。

関ヶ原の戦い——天下分け目の一日

一六〇〇年、家康の軍と、豊臣家を守ろうとする石田三成の軍が、美濃の関ヶ原(今の岐阜県)でぶつかりました。

東軍と西軍、合わせて十五万をこえる兵が集まった、日本の歴史でも指折りの大きな戦いです。ところが勝負は、たった一日でつきました。

そして一六〇三年、家康は征夷大将軍となり、江戸に幕府を開きます。ここから明治になるまで、およそ二百六十年ものあいだ、大きな戦のない時代が続きました。応仁の乱から百年以上も戦い続けてきた日本に、ようやく平和が訪れたのです。

家康は、こんな言葉を残したと伝えられます。「人の一生は、重い荷物を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない」。待ち続けた人らしい言葉です。

徳川家康の年表

1543年三河の国(今の愛知県)に生まれる。幼名は竹千代
1549年六歳で人質に出される
1560年桶狭間の戦いのあと、ようやく三河へ帰る
1572年三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗する
1590年秀吉の命令で関東へ移り、江戸の町づくりを始める
1600年関ヶ原の戦いに勝つ
1603年征夷大将軍となり、江戸幕府を開く
1616年七十三歳で亡くなる

もっと知りたい 徳川家康の豆知識

「鳴かぬなら鳴くまで待とう」

ホトトギスが鳴かないとき、信長は殺し、秀吉は鳴かせてみせ、家康は鳴くまで待つ——三人の性格を表した有名な句です。これは後の時代に作られたものですが、三人の違いをよく言い表しています。

健康オタクだった

家康は自分で薬を調合するほど健康に気をつかい、麦飯を好んで食べていました。当時としては長生きの七十三歳まで生きたのは、そのおかげかもしれません。

負けた絵を残した

三方ヶ原で武田軍に大敗したあと、家康は恐怖でゆがんだ自分の顔を絵に描かせ、生涯そばに置いたと伝えられます。二度と同じ失敗をしないための戒めでした。

徳川家康のテスト(小学1・2年生用)

印刷せずに、この画面のまま読んで答えることもできます。 答えはいちばん下にあります。

読みもの

「じっとまつ」。それが、三河の国(今の愛知県)のぶしょう・徳川家康のとくいわざでした。子どものころは竹千代とよばれ、今川家の人じちとして、がまんの毎日をすごしました。

やがて家康は、織田信長や豊臣秀吉といった強いぶしょうにつかえながら、自分のじだいがくるのを、じっとまちつづけました。

一六〇〇年、家康は天下分け目といわれた関ヶ原の戦いに、見ごとにかちました。そして一六〇三年、江戸(今の東京)に幕府をひらきました。戦いのないよの中の、はじまりです。

江戸幕府は、そのあと二百六十年もつづきました。「まつことのできる人が、さいごにかつ」。家康の生き方は、今もたくさんの人のお手本になっています。

えらぶ問題

  1. 家康はどこに幕府をひらきましたか?

    • ①江戸
    • ②京都
    • ③大阪
  2. 江戸幕府は、どのくらいつづきましたか?

    • ①五十年
    • ②百年
    • ③二百六十年

書く問題

  1. 天下分け目といわれた戦いは何でしょう?

  2. 家康の子どものころの名前は何でしょうか?

漢字の問題

かん字に直して書きましょう。

  • ⑴ゆき
  • ⑵きしゃ
  • ⑶じかん
答えを見る

えらぶ問題 ⑴①⑵③

書く問題⑴せきがはらのたたかい ⑵たけちよ

漢字⑴雪 ⑵汽車 ⑶時間

書く問題は、答えと言葉づかいがちがっても、 意味が合っていれば○にしてあげてください。

プリントの見本

👨‍👩‍👧 おうちの方へ

「がまんして良かったことある?」と、お子さん自身の話に引きつけてみてください。歴史が自分ごとになります。

徳川家康テストをダウンロード(PDF・無料)