徳川家康の国語テスト「じっとまつ」ことで天下をとった人

徳川家康のイラスト
徳川家康(とくがわ いえやす) 1543年〜1616年
⬇ 徳川家康テストをダウンロード(PDF・無料)

A4・横向き/1枚目が問題、2枚目が答えです

信長は「うつけ」から立ち上がり、秀吉は農民から成り上がりました。では家康はどうだったか——家康の武器は、じっと「まつ」ことでした。地味に聞こえるかもしれません。けれども最後に天下を取り、二百六十年の平和をつくったのは、この人です。

竹千代——人質として過ごした子ども時代

家康は、三河の国(今の愛知県の東のあたり)の小さな大名の家に生まれました。子どものころの名前は竹千代といいます。

三河は、西に織田、東に今川という強い大名にはさまれた土地でした。小さな家が生き残るには、どちらかに頭を下げるしかありません。そのため竹千代は、わずか六歳で人質に出されます。しかも途中で織田方にさらわれ、その後は今川のもとへ。十七歳になるまで、自分の家に帰ることができませんでした。

人質とは、「裏切ったらこの子の命はない」という約束のしるしです。竹千代は、いつ殺されてもおかしくない立場で、少年時代のすべてを他人の家で過ごしました。

ふつうなら心が折れてもおかしくありません。けれども家康はこの間、学問を学び、武芸をみがき、そして何より「今は動くときではない」と見きわめる力を身につけました。

耐えて、耐えて、待ち続ける

大人になってからも、家康は待ち続けます。

織田信長と手を結んでからは、その約束を最後まで守りぬきました。武田信玄に三方ヶ原で大敗し、命からがら逃げ帰ったこともあります。信長が本能寺で討たれ、豊臣秀吉が天下を取ったときも、家康は逆らわず、秀吉に従いました。

秀吉から「関東へ移れ」と命じられたときも、家康は文句を言いませんでした。先祖代々の土地を離れるのはつらいことです。けれども家康は江戸(今の東京)に移り、そこで町づくりを始めます。湿地を埋め立て、水路を引き、町を整えました。この地道な仕事が、のちに大きな力になります。

秀吉が亡くなったとき、家康は五十五歳。ようやく、自分の番が来ました。

関ヶ原の戦い——天下分け目の一日

一六〇〇年、家康の軍と、豊臣家を守ろうとする石田三成の軍が、美濃の関ヶ原(今の岐阜県)でぶつかりました。

東軍と西軍、合わせて十五万をこえる兵が集まった、日本の歴史でも指折りの大きな戦いです。ところが勝負は、たった一日でつきました。

そして一六〇三年、家康は征夷大将軍となり、江戸に幕府を開きます。ここから明治になるまで、およそ二百六十年ものあいだ、大きな戦のない時代が続きました。応仁の乱から百年以上も戦い続けてきた日本に、ようやく平和が訪れたのです。

家康は、こんな言葉を残したと伝えられます。「人の一生は、重い荷物を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない」。待ち続けた人らしい言葉です。

徳川家康の年表

1543年三河の国(今の愛知県)に生まれる。幼名は竹千代
1549年六歳で人質に出される
1560年桶狭間の戦いのあと、ようやく三河へ帰る
1572年三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗する
1590年秀吉の命令で関東へ移り、江戸の町づくりを始める
1600年関ヶ原の戦いに勝つ
1603年征夷大将軍となり、江戸幕府を開く
1616年七十三歳で亡くなる

もっと知りたい 徳川家康の豆知識

「鳴かぬなら鳴くまで待とう」

ホトトギスが鳴かないとき、信長は殺し、秀吉は鳴かせてみせ、家康は鳴くまで待つ——三人の性格を表した有名な句です。これは後の時代に作られたものですが、三人の違いをよく言い表しています。

健康オタクだった

家康は自分で薬を調合するほど健康に気をつかい、麦飯を好んで食べていました。当時としては長生きの七十三歳まで生きたのは、そのおかげかもしれません。

負けた絵を残した

三方ヶ原で武田軍に大敗したあと、家康は恐怖でゆがんだ自分の顔を絵に描かせ、生涯そばに置いたと伝えられます。二度と同じ失敗をしないための戒めでした。

徳川家康のテスト(小学1・2年生用)

印刷せずに、この画面のまま読んで答えることもできます。 答えはいちばん下にあります。

読みもの

「じっとまつ」。それが、三み河かわの国くに(今いまの愛あい知ち県けん)のぶしょう・徳とく川がわ家いえ康やすのとくいわざでした。子こどものころは竹たけ千ち代よとよばれ、今いま川がわ家けの人ひとじちとして、がまんの毎まい日にちをすごしました。

やがて家いえ康やすは、織お田だ信のぶ長ながや豊とよ臣とみ秀ひで吉よしといった強つよいぶしょうにつかえながら、自じ分ぶんのじだいがくるのを、じっとまちつづけました。

一六〇〇せんろっぴゃく年ねん、家いえ康やすは天てん下か分わけ目めといわれた関せきヶ原はらの戦たたかいに、見みごとにかちました。そして一六〇三せんろっぴゃくさん年ねん、江え戸ど(今いまの東とう京きょう)に幕ばく府ふをひらきました。戦たたかいのないよの中なかの、はじまりです。

江え戸ど幕ばく府ふは、そのあと二に百ひゃく六ろく十じゅう年ねんもつづきました。「まつことのできる人ひとが、さいごにかつ」。家いえ康やすの生いき方かたは、今いまもたくさんの人ひとのお手て本ほんになっています。

えらぶ問題

  1. 家いえ康やすはどこに幕ばく府ふをひらきましたか?

    • ①江え戸ど
    • ②京きょう都と
    • ③大おお阪さか
  2. 江え戸ど幕ばく府ふは、どのくらいつづきましたか?

    • ①五ご十じゅう年ねん
    • ②百ひゃく年ねん
    • ③二に百ひゃく六ろく十じゅう年ねん

書く問題

  1. 天てん下か分わけ目めといわれた戦たたかいは何なんでしょう?

  2. 家いえ康やすの子こどものころの名な前まえは何なんでしょうか?

漢字の問題

かん字に直して書きましょう。

  • ⑴ゆき
  • ⑵きしゃ
  • ⑶じかん
答えを見る

えらぶ問題 ⑴①⑵③

書く問題⑴せきがはらのたたかい ⑵たけちよ

漢字⑴雪 ⑵汽車 ⑶時間

書く問題は、答えと言葉づかいがちがっても、 意味が合っていれば○にしてあげてください。

プリントの見本

👨‍👩‍👧 おうちの方へ

「がまんして良かったことある?」と、お子さん自身の話に引きつけてみてください。歴史が自分ごとになります。

⬇ 徳川家康テストをダウンロード(PDF・無料)

A4・横向き/1枚目が問題、2枚目が答えです

徳川家康に会いに行く

  • 岡崎城愛知県岡崎市

    家康が生まれた城です。六歳から十七歳まで人質として過ごした家康にとって、帰りたくても帰れない場所でした。

  • 久能山東照宮静岡市駿河区

    家康が亡くなったあと、最初にほうむられた場所です。海を見下ろす山の上にあり、千段以上の石段が続きます。

  • 日光東照宮栃木県日光市

    家康をまつる神社で、世界遺産です。「見ざる言わざる聞かざる」の三猿や眠り猫の彫刻があります。

※ 開館日・時間・料金は変わることがあります。おでかけの前に、 各施設の公式ページでご確認ください。