上杉謙信の国語テスト敵に塩を送った「軍神」

上杉謙信のイラスト
上杉謙信(うえすぎ けんしん) 1530年〜1578年
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A4・横向き/1枚目が問題、2枚目が答えです

戦国時代の武将は、土地がほしくて戦うのがふつうでした。ところが上杉謙信は、違います。「困っている人に頼まれたから」という理由で、何度も戦いに出た人でした。しかも、あれほど戦いながら、自分の土地はほとんど増やしていません。

お寺で育った少年

謙信は、越後の国(今の新潟県)の大名の家に生まれました。子どものころの名前は虎千代といいます。

四男坊だったため家をつぐ見こみがなく、七歳で林泉寺というお寺に預けられました。そこで謙信は、和尚から学問と仏の教えを学びます。この寺での日々が、謙信の人生を決めました。

とくに深く信じたのが、毘沙門天という戦いの神さまです。謙信は「自分は毘沙門天の生まれ変わりだ」と考えるほどでした。旗にかかげた「毘」の一文字は、この神さまの名前の頭文字です。

十九歳で兄に代わって家をつぐと、謙信はまたたく間に越後を一つにまとめました。戦のたびに勝ち続け、いつしか「軍神」と呼ばれるようになります。

自分のためには戦わない

謙信の戦いには、ふつうの武将と違うところがありました。攻め取った土地を、自分のものにしないのです。

関東の大名たちが北条氏に攻められて助けを求めれば、雪の峠を越えて関東へ出兵する。信濃の豪族が武田信玄に追われて頼ってくれば、信玄と戦う。そして戦いが終われば、越後へ帰っていく。

生涯で七十回以上戦い、負けたのは数えるほどといわれます。それだけ強いのに、領地はほとんど広がりませんでした。

謙信が大切にしたのは「義」——人として正しいかどうか、という考え方でした。頼まれたら助ける。約束は守る。だまし討ちはしない。戦国の世では珍しい生き方です。

敵に塩を送る

謙信の人柄をいちばんよく表すのが、この話です。

宿敵・武田信玄の領国である甲斐(今の山梨県)は、海のない土地でした。塩は、東の今川と北条から買っていたのです。ところがあるとき、その二家が示し合わせて塩を売るのをやめてしまいました。塩がなければ、人は生きていけません。武田の領民は苦しみました。

これを知った謙信は、越後から塩を送ります。相手は、川中島で五回も戦った敵です。とどめを刺す絶好の機会でした。

けれども謙信は、こう言ったと伝えられます。「われは弓矢をもって戦うのであり、米や塩をもって戦うのではない」。

ここから「敵に塩を送る」ということわざが生まれました。困っている相手が敵であっても、助けるという意味です。

信玄が亡くなったと聞いたとき、謙信は食事の箸を落とし、涙を流したと伝えられます。「よき敵を失った」と。その五年後、謙信も四十九歳で世を去りました。

上杉謙信の年表

1530年越後の国(今の新潟県)に生まれる。幼名は虎千代
1536年ごろ七歳で林泉寺に預けられ、学問と仏の教えを学ぶ
1548年十九歳で上杉家をつぐ
1553年〜1564年川中島で武田信玄と五回戦う
1567年ごろ塩に困った武田領へ塩を送ったと伝えられる
1578年四十九歳で亡くなる

もっと知りたい 上杉謙信の豆知識

「越後の龍」

謙信は「越後の龍」、ライバルの武田信玄は「甲斐の虎」と呼ばれました。二人の戦いは「龍虎の争い」と語られます。

生涯結婚しなかった

謙信は一生結婚せず、子どももいませんでした。毘沙門天への信仰のためだといわれます。跡をついだのは、養子の景勝です。

お酒が大好きだった

謙信は馬の上でも酒を飲むほどの酒好きで、愛用した大きな盃が今も残っています。塩気の強いつまみを好んだことが、体に障ったともいわれます。

上杉謙信のテスト(小学1・2年生用)

印刷せずに、この画面のまま読んで答えることもできます。 答えはいちばん下にあります。

読みもの

はたにかかげるのは、「毘び」の一ひと文も字じ。戦たたかいのかみさま「毘び沙しゃ門もん天てん」をしんじて戦たたかい、「軍ぐん神しん」とおそれられたのが、越えち後ごの国くに(今いまの新にい潟がた県けん)の上うえ杉すぎ謙けん信しんです。子こどものころはお寺てらで学まなび、心こころをきたえました。

謙けん信しんは、武たけ田だ信しん玄げんと川かわ中なか島じまの戦たたかいで五ご回かいも戦たたかいました。二ふた人りは力ちからが同おなじくらいで、なかなかしょうぶがつきませんでした。

あるとき、信しん玄げんの国くにでしおが手てに入はいらなくなり、人ひとびとがこまっていました。それを知しった謙けん信しんは、てきなのに信しん玄げんへしおをおくってたすけました。この話はなしは「てきにしおをおくる」ということばとして、今いまも語かたりつがれています。

正ただしいと思おもうことをつらぬく謙けん信しんの生いき方かたは、多おおくの人ひとにあいされています。

えらぶ問題

  1. 謙けん信しんは何なんとよばれていましたか?

    • ①軍ぐん神しん
    • ②大おおうつけ
    • ③独どく眼がん竜りゅう
  2. 謙けん信しんがしおをおくったあいてはだれでしょうか?

    • ①徳とく川がわ家いえ康やす
    • ②武たけ田だ信しん玄げん
    • ③織お田だ信のぶ長なが

書く問題

  1. 謙けん信しんが信しん玄げんと五ご回かいも戦たたかった戦たたかいは何なんでしょうか?

  2. 謙けん信しんは、子こどものころ、どこで学まなびましたか?

漢字の問題

かん字に直して書きましょう。

  • ⑴はな
  • ⑵うみ
  • ⑶あおぞら
答えを見る

えらぶ問題 ⑴①⑵②

書く問題⑴かわなかじまのたたかい ⑵おてら

漢字⑴花 ⑵海 ⑶青空

書く問題は、答えと言葉づかいがちがっても、 意味が合っていれば○にしてあげてください。

プリントの見本

👨‍👩‍👧 おうちの方へ

「どうして敵に塩を送ったんだと思う?」——正解のない問いですが、子どもなりの答えに謙信の生き方への理解がにじみます。

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A4・横向き/1枚目が問題、2枚目が答えです

上杉謙信に会いに行く

  • 春日山城跡新潟県上越市

    謙信の居城の跡です。山全体が城になっていて、頂上まで登ると日本海が見えます。謙信はここから塩を敵に送りました。

  • 林泉寺新潟県上越市

    謙信が少年時代に学んだ寺です。ここで身につけた考え方が、のちの「義の武将」につながったといわれます。

※ 開館日・時間・料金は変わることがあります。おでかけの前に、 各施設の公式ページでご確認ください。

戦国時代の合戦をあつかった「戦国合戦シリーズ」(小学3・4年生用)もあります。