姉川の戦いの国語テスト妹の夫が、敵になった日

戦国時代の戦いは、たいてい「敵と味方」の話です。ところが姉川の戦いだけは違います。ここで信長と刃を交えたのは、実の妹の夫でした。裏切ったといわれる浅井長政には、裏切るしかなかった事情があります。
長政には、二つの約束があった
浅井長政は、近江の国(今の滋賀県)の北を治める若い大名でした。信長は長政に妹のお市を嫁がせ、同盟を結びます。長政にとって信長は義理の兄であり、頼れる後ろだてでした。
ところが長政には、もう一つ古い約束がありました。越前の国(今の福井県)の朝倉家との、代々続くつながりです。浅井家がまだ小さかったころ、朝倉家は何度も助けてくれました。長政の父も祖父も、その恩を受けています。
一五七〇年、信長は突然その朝倉家に攻め込みました。長政には何の相談もありませんでした。
義理の兄を取るか、代々の恩人を取るか。長政は恩人のほうを選び、信長の背後を突きます。信長は命からがら京都へ逃げ帰りました。これが姉川の戦いの前に起きたことです。
十三段の陣と、十一段くずし
同じ年の夏、信長は徳川家康とともに軍を返し、浅井・朝倉の軍と姉川ではさみ合いになりました。合わせて五万を超える大軍だったといわれます。
織田軍は、守りの列を十三段に重ねて待ちかまえました。前の列が破られても、次の列が受け止める。分厚い壁のような構えです。
ところが浅井軍の攻めは、この予想をはるかに超えていました。一段、また一段と突き破り、ついに十一段目まで食い破ったのです。後の世に「姉川の十一段くずし」と語り継がれた猛攻でした。
浅井軍は数では劣っていました。それでもここまで攻め込めたのは、長政の兵たちが必死だったからだと考えられています。
横から入った家康
崩れかけた織田軍を救ったのは、徳川家康の軍でした。
家康は正面ではなく、朝倉軍の横から攻め込みます。横から突かれた軍は隊列を保てません。朝倉軍が崩れると、その動揺が浅井軍にも伝わり、戦いの流れは一気にひっくり返りました。
この日の働きで、家康は信長から強く信頼されるようになります。まだ小さな大名だった家康にとって、大きな意味を持つ一日でした。
戦いのあと、姉川は血で赤く染まったと伝えられます。近くには今も「血原」という地名が残っています。ただし、こうした表現は後の時代に大げさに書かれた可能性もあります。
三年後に起きたこと
姉川で敗れても、浅井・朝倉はすぐには滅びませんでした。長政は小谷城に戻り、その後三年にわたって信長と戦い続けます。
しかし一五七三年、朝倉家が先に滅び、続いて小谷城も囲まれました。長政は城とともに命を絶ちます。二十九歳でした。
このとき長政は、妻のお市と三人の娘を城から出し、信長のもとへ送り返しています。妻子だけは助けたい、という願いでした。
その三人の娘のうち、長女の茶々は豊臣秀吉の妻となり、三女の江は徳川秀忠に嫁ぎます。姉川で敵味方に分かれた家の血は、その後の日本を動かす人々へとつながっていきました。
姉川の戦いの流れ
| 1560年代 | 信長が妹のお市を長政に嫁がせ、同盟を結ぶ |
|---|---|
| 1570年4月 | 信長が朝倉家を攻める。長政が信長の背後を突く |
| 1570年6月 | 姉川の戦い。浅井軍が織田軍を十一段まで押し込む |
| 同日 | 家康が朝倉軍の横を突き、流れが逆転する |
| 1573年8月 | 朝倉家が滅びる |
| 1573年9月 | 小谷城が落ち、長政が命を絶つ。お市と三人の娘は城を出る |
もっと知りたい 姉川の戦いの豆知識
「姉川」という名前の由来
近くを流れる「妹川(いもうとがわ)」と対になる名前だといわれます。姉と妹の名を持つ二本の川のそばで、義理の兄と弟が戦ったことになります。
十三段の陣とは何か
兵を横一列ではなく、前後に十三の列を作って並べる構えです。前が破られても後ろが支えるため、簡単には崩れません。それを十一段まで破られたことが、浅井軍の攻めの激しさを物語っています。
長政の娘たちのその後
長女の茶々(淀殿)は豊臣秀吉の妻となって秀頼を産み、三女の江は徳川秀忠に嫁いで三代将軍・家光の母になりました。次女の初も大名家に嫁いでいます。
姉川の戦いのテスト(小学3・4年生用)
印刷せずに、この画面のまま読んで答えることもできます。 答えはいちばん下にあります。
読みもの
一五七〇年、近江の国(今の滋賀県)を流れる姉川で、大きな戦いが起こりました。織田信長と徳川家康の軍が、浅井長政と朝倉義景の軍と戦ったのです。合わせて五万人をこえる大軍だったと言われています。
長政のつまは、信長の妹・お市です。ところが信長は、長政が長年お世話になってきた朝倉家をせめました。なやんだ長政は、つまの( )である信長をうらぎる道を選んだのです。
戦いは朝早くに始まりました。織田軍は、じん(守りの列)を十三だんにかまえて待ちうけます。ところが浅井軍はすさまじいいきおいで、十一だん目まで次々とうちやぶっていきました。このこうげきは後に「姉川の十一段くずし」とよばれました。
おされる織田軍を救ったのは、家康の軍でした。横からのこうげきで流れは一気にぎゃく転し、やぶれた浅井・朝倉軍はにげ去りました。戦いのあと、姉川は血で赤くそまったと伝えられ、近くには「血原」という地名が今も残っています。そしてこの戦いの三年後、浅井家と朝倉家は、信長にほろぼされてしまうのです。
えらぶ問題
文しょうに合うものはどれですか?
- ①長政は信長をうらぎって戦った
- ②お市は徳川家康の妹である
- ③浅井家は戦いに勝って栄えた
文しょうの( )に入る言葉はどれですか?
- ①父
- ②おじ
- ③兄
書く問題
浅井軍のこうげきは、後に何とよばれたでしょうか?
織田軍を救ったのは、だれの軍でしょうか?
漢字の問題
かん字に直して書きましょう。
- ⑴にわ
- ⑵まめ
- ⑶かがみ
答えを見る
えらぶ問題 ⑴① ⑵③
書く問題⑴姉川の十一段くずし ⑵家康の軍
漢字⑴庭 ⑵豆 ⑶鏡
書く問題は、答えと言葉づかいがちがっても、 意味が合っていれば○にしてあげてください。
プリントの見本

A4サイズ・横向きで印刷してお使いください。漢字問題は「庭・豆・鏡」です。
👨👩👧 おうちの方へ
「長政は、どうすればよかったと思う?」と聞いてみてください。正解のない問いです。お子さんが自分なりの理由を言えたら、それが読み取れているということです。
A4・横向き/1枚目が問題、2枚目が答えです
姉川の戦いの跡を歩く
- 姉川古戦場滋賀県長浜市
五万を超える兵がぶつかった場所とは思えないほど、静かな田園地帯です。川のそばに石碑が立っています。
- 小谷城跡滋賀県長浜市
浅井長政の居城の跡です。姉川の三年後、この城が落ちて浅井家は滅びました。
- 血原公園滋賀県長浜市
戦いの激しさを今に伝える地名が、そのまま公園の名前になっています。
※ 開館日・時間・料金は変わることがあります。おでかけの前に、 各施設の公式ページでご確認ください。