金ヶ崎の戦いの国語テストにげることも、戦い方のひとつ

金ヶ崎の戦いのイラスト
金ヶ崎の戦い(かねがさき の たたかい) 1570年・越前の国(今の福井県)
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A4・横向き/1枚目が問題、2枚目が答えです

戦の話というと、勝った負けたが中心になりがちです。けれどもこの戦いで信長がしたのは、にげることでした。そして、にげたからこそ、三か月後に勝つことができました。「引くべきときに引く」という判断を、子どもがどう受け取るか。読んだあとの会話が楽しみな一枚です。

順調すぎた越前せめ

一五七〇年の春、織田信長は越前の国(今の福井県)の朝倉義景を攻めるため、大軍を率いて出陣しました。徳川家康も加わっています。

戦いは順調でした。手筒山城を落とし、続いて金ヶ崎城も手に入れます。このまま進めば越前は信長のものになる。だれもがそう思っていました。

妹の夫が、うしろから

そこへ、思いもよらない知らせが届きます。北近江(今の滋賀県北部)の浅井長政が、朝倉方についたというのです。

浅井長政は、信長の妹・お市の夫でした。信長が自分の妹を嫁がせてまで結んだ同盟相手です。その長政が背いた。前には朝倉、うしろには浅井。信長は完全に挟まれる形になりました。

長政が背いた理由は、はっきりしていません。浅井家と朝倉家には長いつきあいがあり、朝倉を攻めるときは前もって知らせるという約束があった、という説が知られていますが、これも後の時代に書かれたものです。

だれが残るのか

挟み撃ちになれば全滅します。信長は、すぐに退くことを決めました。

けれども大将が退くには、あとに残って追ってくる敵を食い止める者が必要です。もっとも危ない役目でした。

この役目を木下藤吉郎、のちの豊臣秀吉が引き受けたと伝えられています。ただし史料を見ると、池田勝正や明智光秀も殿として名前が挙がっています。秀吉ひとりの手柄のように語られるようになったのは、後の時代のことです。

にげて、三か月後に勝つ

信長は朽木谷という山道を抜けて京へ戻りました。この退却を「金ヶ崎の退き口」といいます。

そして三か月後の六月、姉川の戦いで信長は浅井・朝倉の軍を破ります。あのとき退いたからこそ、勝つ日が来ました。

金ヶ崎城のあとは、今も福井県敦賀市に残っています。海を見下ろす高台で、春には桜が咲きます。

金ヶ崎の戦いの流れ

1570年4月信長が越前へ出陣。徳川家康も加わる
同月下旬手筒山城・金ヶ崎城を落とす
同月末浅井長政が朝倉方についたという知らせが届く
その直後信長は退却を決める。木下藤吉郎らが殿をつとめる
6月姉川の戦いで、信長が浅井・朝倉を破る

もっと知りたい 金ヶ崎の戦いの豆知識

小豆のふくろの話

お市が両はしをしばった小豆のふくろを送り、「ふくろの中のねずみ(=挟み撃ち)」だと兄に知らせた、という話が伝わっています。ただしこれは後の時代に書かれたもので、本当にあったかどうかは確かめられていません。

殿をつとめたのは秀吉だけではない

金ヶ崎に残ったのは木下藤吉郎だけではなく、池田勝正や明智光秀も殿をつとめたと史料に出てきます。秀吉ひとりの手柄として語られるようになったのは、後の時代のことです。

金ヶ崎城のあとは今も残る

福井県敦賀市の金ヶ崎城跡は、海を見下ろす高台にあります。南北朝時代にも戦いの舞台になった古い城で、今は桜の名所として知られています。

金ヶ崎の戦いのテスト(小学3・4年生用)

印刷せずに、この画面のまま読んで答えることもできます。 答えはいちばん下にあります。

読みもの

一五七〇年、織お田だ信のぶ長ながは朝あさ倉くら義よし景かげをせめるため、徳とく川がわ家いえ康やすと共ともに大たい軍ぐんをひきいて越えち前ぜんの国(今の福ふく井い県けん)へ出しゅっ発ぱつしました。戦たたかいはうまく進すすみ、信のぶ長なが軍ぐんは金かねヶが崎さきの城しろを落おとしました。このままいけば越えち前ぜんは手に入る。だれもがそう思っていました。

ところが、妹のお市いちから思いもよらない知らせが信のぶ長ながにとどきます。お市いちの夫おっとである浅あさ井い長なが政まさが、義よし景かげと手を組んで信のぶ長ながをはさみうちにしようと計けい画かくしているというのです。前には朝あさ倉くら、うしろには浅あさ井い。お市いちはこのことを、両りょうはしをしばった小あ豆ずきのふくろを送おくって知らせたと伝つたえられています。ふくろの中のねずみのように、にげ道がないという意い味みです。

(  )、信のぶ長ながはまよわず、にげることを決きめました。しかし、信のぶ長なががにげるために金かねヶが崎さき城じょうに残のこって、てきを食い止める者ものが必ひつ要ようでした。いちばんあぶない役やく目めです。この役やく目めに手を挙あげたのが、木き下のした藤とう吉きち郎ろう、のちの豊とよ臣とみ秀ひで吉よしでした。

藤とう吉きち郎ろうは少ない兵へいで金かねヶが崎さきに残のこり、追おってくる朝あさ倉くら軍ぐんを食い止めました。そのあいだに信のぶ長ながは山を走りぬけ、京きょう都とへもどることができたのです。三か月後の姉あね川がわの戦たたかいで、信のぶ長ながは浅あさ井いと朝あさ倉くらをやぶりました。にげたからこそ、勝かつ日が来たのです。

えらぶ問題

  1. 文ぶんしょうに合あうものはどれですか?

    • ①信のぶ長ながは、はさみうちを知しってもせめた
    • ②浅あさ井い長なが政まさは、信のぶ長ながの妹いもうとの夫おっとだった
    • ③てきを食くい止とめたのは徳とく川がわ家いえ康やすだった
  2. 文ぶんしょうの(  )に入はいる言こと葉ばはどれですか?

    • ①しかし
    • ②そこで
    • ③たとえば

書く問題

  1. お市いちは何なにを送おくって、信のぶ長ながにはさみうちの計けい画かくを知しらせたと伝つたえられていますか?

  2. 金かねヶが崎さきに残のこっててきを食くい止とめたのはだれですか?

漢字の問題

漢字に直して書きましょう。

  • ⑴ひつじ
  • ⑵やど
  • ⑶きせつ
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えらぶ問題 ⑴② ⑵②

書く問題⑴両りょうはしをしばった小あ豆ずきのふくろ ⑵木き下のした藤とう吉きち郎ろう

漢字⑴羊ひつじ ⑵宿やど ⑶季き節せつ

書く問題は、答えと言葉づかいがちがっても、 意味が合っていれば○にしてあげてください。

プリントの見本

👨‍👩‍👧 おうちの方へ

「どうして信長はにげたんだと思う?」と聞いてみてください。「負けるから」で終わらず、「にげたから次に勝てた」まで話せたら見事です。逃げるのは悪いことではない、と伝えられる一枚でもあります。

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A4・横向き/1枚目が問題、2枚目が答えです

三か月後の姉川の戦いも、小学3・4年生向けで読めます。この戦いに関わった武将は、小学1・2年生向けの「戦国武将シリーズ」にもあります。