長篠の戦いの国語テストさけび声が、城を守った

A4・横向き/1枚目が問題、2枚目が答えです
戦国最強といわれた武田の騎馬隊が、半日でくずれ去った戦いです。勝敗を分けたのは鉄砲でした。けれどもその前に、たった一人の武士が命がけで果たした役目がありました。
五百人で、一万五千を相手にする
一五七五年、武田信玄の子・勝頼が大軍を率いて長篠城を取りかこみました。その数、一万五千ともいわれます。
守るのは徳川家康の家来たち、わずか五百人ほど。二十倍以上の差です。城の食料も残りわずかで、このままでは何日ももちません。
助けを呼ぶには、包囲を突破して岡崎城の家康に知らせるしかない。けれども城のまわりは敵だらけです。
鳥居強右衛門の走り
その役目を引き受けたのが、鳥居強右衛門という武士でした。
強右衛門は夜の川を泳いで城を抜け出し、山を越えて走り続けます。岡崎城まではおよそ六十キロ。一日で走りぬいた強右衛門は、家康と、援軍に来ていた織田信長から「すぐに助けに行く」という約束をもらいました。
喜んだ強右衛門は、その知らせを一刻も早く仲間に伝えようと、休まずに引き返します。ところが城の近くで、武田軍の兵につかまってしまいました。
「助けはすぐ来るぞ!」
武田軍は強右衛門にこう言いました。「城の前で『助けは来ない』と叫べ。そうすれば命は助ける」。
強右衛門はうなずきました。そして城の前に立たされます。
ところが強右衛門は、力のかぎりこう叫んだのです。「助けはすぐ来るぞ! あと二、三日、持ちこたえろ!」
強右衛門は、その場で命を落としました。けれどもその声を聞いた城の兵たちはふるい立ち、援軍が来るまで城を守りぬいたのです。
馬防柵と三千丁の鉄砲
やがて到着した信長は、まず木の柵をずらりと立てさせました。馬防柵といって、馬が突っこんでこられないようにするための柵です。
その後ろに、三千丁ともいわれる鉄砲を並べました。当時の鉄砲は、一発うつと次の弾をこめるまでに時間がかかります。その間に騎馬隊に突っこまれるのが弱点でした。
そこで信長は、兵を交代させながらうたせたと伝えられます。うち終わった者が下がって弾をこめ、次の者が前に出てうつ。こうすれば、鉄砲の音がとぎれません。
柵に止められた武田の騎馬隊は、鳴りやまない銃声とけむりの中で次々に倒れました。信玄を支えた武将たちも命を落とし、最強といわれた武田軍は半日でくずれ去ったのです。
長篠の戦いの流れ
| 1575年5月 | 武田勝頼の大軍が長篠城を包囲する |
|---|---|
| 同月中旬 | 鳥居強右衛門が城を抜け出し、岡崎城へ走る |
| 同月 | 強右衛門が捕らえられ、「助けは来るぞ」と叫んで命を落とす |
| 5月21日 | 織田・徳川の連合軍が到着。馬防柵と鉄砲で武田軍を破る |
| その後 | 武田家は力を失い、七年後にほろびる |
もっと知りたい 長篠の戦いの豆知識
馬防柵は今も再現されている
長篠古戦場(愛知県新城市)には、当時の馬防柵が再現されています。木を組んだだけの柵ですが、馬の突撃を止めるには十分な高さがありました。
強右衛門は敵からも尊敬された
強右衛門の勇気に感動した武田方の武士が、その姿を旗に描いて子孫に伝えたといわれます。敵であっても、その生き方は尊敬されたのです。
「三段撃ち」は本当だった?
三千丁の鉄砲を三列に並べて順番にうった、という話が有名ですが、近年は「そこまで正確な隊列ではなかった」という説もあります。ただし兵を交代させてうち続けたことは、多くの史料が伝えています。
プリントの見本

A4サイズ・横向きで印刷してお使いください。漢字問題は「病院・野球・写真」です。
👨👩👧 おうちの方へ
「強右衛門は、どうして本当のことを叫んだんだろう?」と聞いてみてください。「仲間を助けたかったから」と答えられたら、気持ちがしっかり読めています。約束を守ることについて話すきっかけにもなります。